久々に風呂場の排水口の掃除をした。
ゲロ。
カオス。
よじれてうねった髪の束。
へどろみたいな汚れと石鹸滓。
なんでだか青味がかっているこの色はカビだろうか。
瞬時に顔がゆがんだが、それをこらえて、ティッシュで摘み取る。髪も汚れも滓も一緒くたに取りさって、それから磨き粉をつけたブラシで擦り落とす。ぐるっと排水口の周りから、段のついた溝も残らずぐいぐいと擦る。ざっと水を流すとぴかぴかになった姿で現れた。―――とりあえずは。
毎度毎度この時だけはきれいな顔をするくせに、すぐに汚れてカオスになる。
それはまるで、つい先ほど獲物の帰り血で口を汚していた猫が、涼しい顔で毛づくろいしているさまに似ている。のほほんと穏やかで血腥いことには縁がありません、なんて顔をしてるのに地面には鳥の毛が散らばってる。
豹変する、生き物のようだ。



そもそも風呂場の排水口なんて、台所の排水口に比べて食べかすが詰まるわけでもないのに、ティッシュにくるんだ滓からは、腐ったかぼちゃのにおいがする。なんでか。
かぼちゃの、と思いつく理由は簡単だ。
先日腐らせたからだ。
かぼちゃだから平気だろ、と思って放置していたら気がつけば取り返しがつかなくなっていた。腐ったかぼちゃは溶けていて、持ち上げたらもろもろと崩れた。しかもとんでもなく臭い。あわてて二重の袋で密閉をして事なきを得たが、しばらく残り香が染み付いて取れなかった。
腐ったものの匂いで思い出すのが一番最近かいだかぼちゃなのだけれど、ティッシュで包んだ滓は腐っているもののにおいがして臭い。

風呂に入って汚したのは自分だ。
いつ抜けたのかわからないくらい大量の髪。そんなに抜けたらやばいんじゃねえの、と後頭部が心配になるが、実感としてあまり変わった感じはない。ということはそれだけ生え変わるということだ。恐ろしい。ヘドロみたいなのは多分、垢だろう。それと洗ったときの石鹸。それは元はといえば人間の、自分自身だったものだ。風呂場を汚す要素は、台所と違って日々の食い物ではなく、そこをつかう人間だ。
てーことは臭いのはオレか。
ティッシュを他のゴミと一緒にポリバケツに突っ込んでため息をついた。
内臓やられてんのかなあ、年だしなあ。
内臓だったら、きっと体の他の部分も臭いだろうな、なんて考えて。
嫌なところにたどり着いた。
自分じゃあわからない、わかりたくない部分だけど。
きっと一番わかりやすいのはあそこだろう。
だって、内臓―――…うーわー……。



さーっと血の気が引いていくのは、自分ではわかりたくないその場所を、自分よりもよく知っている他人がいるからだ。他人だけど、他人じゃない。自分の延長みたいだけど、自分じゃない、もうひとりの人間。
一番知られたくないことを、知られていると感じる羞恥が脳を焼いた。
あがががが……!
おっさん臭ってどうなの?どうなの?
加齢による内臓の傷み?
酸化した皮膚とか脂とかのブレンド?
総じて腐っていっているっていうこと?
そんなオレってどう?
やばくないか?
やばいだろ……!



嫌われるということに恐怖を感じるのは、安寧に慣れきってしまっているから。それを手放した時に感じる落差に耐えられないと思うから。
身も心もゆだねてしまっているのだ。ぬるま湯に。
襲ってきた動揺に抗えず、掃除したばかりの風呂に飛び込んで、自分の体を隅々まで磨きあげた。
指のまたや耳の裏、ひざ裏のやわい皮膚も擦って、二時間。
扇風機の前に座ってふやけた肌に冷風を当てていたら、ぬるま湯がやってきた。
にやけ面を覆面で隠して涼しい顔。息がこもるし蒸れるだろうに夏でもやっぱり涼しい顔の色男が。
色男は視線だけ流してふぃぃんと扇風機の前に座って動かないオレのところまでプラプラ軽い足取りで近づく。
「あれー?なんでこんな時間からお風呂はいってんの?イルカせんせーしずかちゃんにクラスチェンジ?」
「……風呂はあがってるだろ……」
まさかお前のために磨きあげてましたなんていえなくて、そっぽをむいたら、タオルを引っ掛けた首筋につめたい指先と皮が触れた。
「ふううん、さらさら」
指ぬきをした手袋は、首というよりも首周りに垂らされた髪をいじる。
ぬれて、半乾の冷たい髪。
房になるほどではないが、いうほどさらさらともしていないざんばら髪をすくいよせ、その毛先をぱくりと食んだ。
「……食うなよ」
「だって、おいしそうなんだもん。無理だって」
唾液で汚されてはまた洗わなくてはいけない。咥えている毛先を引っ張って取り返したら本体が釣れた。髪の毛から首筋。耳裏。おとがい。くちびる。洗った場所を辿るかのように、キスがしかけられた。
ぬめる舌と、歯茎の間。
二人分の唾液がにおう。
あー……歯磨き忘れた、なんて思ってもいまさら遅い。
それに相手は気にせずぬっちょんぬっちょんのぐっちょんぐっちょんにべろべろ舐める。
舐める間にも冷たい指が全身をくまなく這い回り反応を探る。
風呂あがりの乳首を、爪の先でつまんで、つい他に考えの行きがちなオレを見あげる上目遣い。涼しい顔をしているのに、きりきり爪先で錐のような尖った痛みをオレに与える瞳は色に濡れている。
「……いや?」
「いやじゃないけど……」
元々そのために洗ったようなものだから。
―――そんなこといえやしないけど。
ひねくれもののオレの答えを、応、と解釈した色男は露にした欲望に忠実に動き始めた。



房になってねじれて。
絡まって。
離れて。
くっつきあって。また捩れて。
排水口の髪の毛みたいに、においなんか気にならないくらいお互いどろどろに暴きあって。
一息ついた時、遅い来る眠気に気をやりながら、あとどれくらいあらうんだろう、とオレは思った。
汚れ―――元々はお互いの体から発散したもの。を洗い落とすと、排水口はまた汚れる。そうしたら排水口を洗って。体を洗って、汚して洗っての繰り返し。生活するってそういうことだ。多分。
あとどれくらい。
あと何度。
こうやって汚してはまた洗うのか。
できれば、ずっと。
繰り返せるといいのに―――なんて。思ったことは誰にも言わない。