かわいいひと





 下忍と上忍の垣根は高いようで案外低い。
 何故ならば、下忍が一番初めに組まされるスリーマンセルの大抵ひとりは優秀で、ひとりはちょっと劣ると相場が決まっているからだ。
 スリーマンセルを組まされたからといってその全てが順序良く上に上がっていくことはないし、逆に優秀なものがいつまでも足踏みをするものでもない。
 アカデミーは忍者養成機関。スリーマンセルは忍者の第一歩。つまるところあの場所ですごす時間というものは、スリーマンセルのチーム作りのためにあると言っていい。そのために教師はいつも生徒を観察している。
 一番優秀なやつが大抵の場合リーダーになる。
 そしてお荷物をカバーできるリーダー性を発揮するものがお荷物ともども上へあがる。教師のほうも足を引っ張る荷物がいても大丈夫なように、攻防、回復、幻術、体術、知力といった得意分野のバランスを考慮してある。偏り過ぎない親和性のあるチーム作り。それはアカデミー教師が一番頭を悩ませる所だ。
 だから昔の同期を囲んでの飲み会なんかたまに開かれたりすると上中下取り揃えての大宴会なんてこともよくある。
 そんな上中下取り揃えてのちゃんぽんな飲み会のひとつで、かぱかぱ酒を喰らっていたカカシは飲み会の片隅でひっそりと面白い話が進行していることに気付いて聞き耳を立てた。
 見た目や醸しだす雰囲気からすると中忍。
 一人を囲んで俯いてぼそぼそ話しているから後ろ暗い話かと思ったら、違った。恋愛相談。それも片思いの相談会だった。どう見ても20台半ばは越えている男の片思い相談会。体から始まる恋愛もそろそろ飽きたかという年頃に手も触れていない見つめるだけのピュアラブ。これを面白がらないカカシではない。他人の色恋沙汰を聞きだすだなんてそんな悪趣味なこと、大好きだ。センサーにぴぴっと反応した瞬間に自分のグラスを持って立ち上がり、その一角に席を求めた。



「や、あんたかわいーね!ちょっとそこ詰めて。いーじゃない、で、それで?」
 面白いと思ったら即行動!なカカシが手近な椅子を引っ張って無理矢理話に混ざると、元からその席にいた連中は様々な反応を示した。
「え、え、えええ?」
 真ん中で頬を薄く染めていた男は明らかにうろたえ、その隣で相槌を打っていた男はひらひらとカカシに手を振った。カカシの同期の同期の元同僚とかいう遠い縁だが、こういうどこからどこまでが繋がっているのかよくわからない飲み会でたまに見る顔だった。
「なに、カカシさん暇なのー?」
「そうなのー暇なのーここなんか面白そーな話してんじゃん、オレも混ぜてよ」
「いいよー、何飲む?」
「あ、オレお湯割り頂戴」
「あいよー」
 顔見知りの中忍はカカシのグラスに焼酎とお湯を大雑把に注ぐ。箸で混ぜることすらしない手抜き振りだ。
「そんでそんで?話聞かせてよ」
 手抜きグラスで掌を暖めて身を乗り出すカカシに、中忍はやっぱり大雑把な説明をした。
「やーそれがー、こいつ好きな人がいるんだけど、好きすぎてなんにもできないってゆー話。話すたびに照れちゃってそこまでしか聞き出せてないんだよね」
「え!いや、その!あの!」
 当のイルカはというとその説明にまた頬を染め、
「ちょっとイルカちゃん上忍呼んじゃったよ、上忍!ちょううけるんだけど!」
 その一方でいい感じに酒の回っているらしい女が、手足をバタバタさせて笑い転げた。



「で、それでそれで?」
 とりあえず笑い上戸になっている女は無視して相槌を打つと、別のものがカカシの前につまみをさっと出した。とりあえず落花生をひとつ剥いてみた。
「あんたはその人どう思ってるの?」
 イルカは酒が回っているにしても赤すぎる顔を更に赤らめて、つっかえつっかえ答えた。
「やーそのー……かわいいってゆうかきれいだなーって……」
「へえ、綺麗系なの?なんかあんたならこう家庭的なのが似合うイメージだったんだけど」
 カカシはイルカのことを知らないが、その見た目からの判断だ。実直や素直という言葉が似合うといえば聞こえはいいが、もっさりしていて垢抜けない。中忍どまりでそれ以上は上に行けなさそうだな、と雰囲気が告げている。そんな男が望むのは家庭的な安らぎだと思っていたが、高望み派だったとは実に意外だ。
 ははあ、と頷くカカシに更に餌が投げ入れられた。
「それがねー聞いてくださいよ、こいつ。その相手のシルエットに惚れたらしいんですよ!」
「シルエット?なにそれなにそれ!ちょっと詳しく!」
 なんだかこの中忍見た目とギャップがあって面白い!とカカシは激しく食いついた。
「モデルみたいでかっこいいっておもったんだよな!」
「影に惚れるなんてどんだけマニアックなんだよ、お前!」
「いやん、オレの影は見ないで!惚れられたら困る!アタシにはこれでも妻と子が!家庭を壊すつもりはないの!」
「いいじゃねえか、見せろよ!」
「きゃー!およしになってえ!」
 シルエットに惚れたということをさんざん肴にしてきた連中は小芝居を入れて笑う。カカシはそれを見ながら剥いた落花生を口の中に放り込む。
「……そ、それだけじゃないんだけど……」
「で、かお見てまた惚れて!メロメロなんだよな!」
「もう……いうなよ!」
 イルカは更に駄目押されて机の上に突っ伏してしまった。
 伏せたイルカはうなじに耳まで真っ赤だ。
 ものすごく赤面屋なのか、それだけ相手が好きなのか、酒がまわっているのかそれだけではわからないが、肩が揺れているのが面白い。このうなじに息をかけたらひゃあっとかいうんだろうな、と思いながらカカシはまた落花生を剥いた。
「モデル体型?高望みじゃないの?」
 イルカのことはよく知らないが、器用ではないことは確かだ。倍率の高い相手に、手練手管でライバルを蹴落とすのは無理っぽい。
「でしょーそう思うでしょーでもコイツ本気なんですよ!」
「てゆーかそんな女ならとっくに虫ついてんじゃないの?」
 綺麗めな感じのモデル体型の女を脳裏に描きながらいうと、がばっとイルカが跳ね起きた。
「やっぱりそうですか?そう思いますか?」
 丁度落花生を口に放り込む瞬間だったので、口元のアンダーを下げていた。眦のあかく染まった瞳が食い入るようにカカシを見つめる。その熱っぽさにちょっと驚きながら、落花生を噛み砕いた。
「そうなんじゃないのー?違う?」
「そうかなーっておもうんですけど。でも確信もてなくって」
「えー周りに影はないの?」
「あるといえばあるないといえばない状態で」
 イルカは瞬きひとつすることなくずーっとカカシを見つめているが、その口調は歯切れが悪い。その熱視線だけは十分積極的なんだけど、と首を傾げながらカカシは尋ねた。
「じゃあさー、あんたはどんなアプローチしてんの?」
「アプローチ?」
「そ、少なくとも顔見知りなんでしょー。営業努力って必要よ?」
 カカシの言葉にイルカがとまった。
「え」
「まさか……してない?」
「だ、だって恐れ多くて……たまに目が合うことくらいはありますけど……」
 おいおい正気か、とカカシは思う。
 確かにはじめから片思いだとはいっていたが、知り合いですらないって、アカデミーの子ども以下の恋愛音痴っぷりだ。
「目が合うって、相手の視力がゼロとか逆に経絡系も何でも見えちゃう系の人だったらどうするの……」
 親しみを込めたボディタッチには人によって意味はあるかもしれないが、視線には意味はない派のカカシが突っ込むとイルカは「でも……」と、うつろに視線をさまよわせた。
「恐れ多いって、上忍?だったら戦略たてないと!まず近づいて自分アピール!」
 ここまで突っ込みどころが多いと、逆にそれが面白くなってカカシはイルカを煽った。酒の席での他人の恋愛は無責任に面白がれる。
「んで、今日は来てんの?」と顔を寄せてイルカの目線から会場を眺める。イルカの席は端っこなだけあって会場全体が満遍なく見渡せた。先ほどまでカカシが座っていたところもよく見える。若い女の子がいるあたりに視線を滑らせ尋ねるとイルカは赤い顔してごにゃごにゃ誤魔化した。その態度からいるな、と断じてカカシは脳裏に上忍の女メンバーをリストアップした。モデル体型の綺麗めなところ。何人かいるが、そのどれがイルカの趣味だろう。
「こんな端っこじゃなくて席を傍に取るとかしなよ」
「いや!いいです!いいですから……!」
 とりあえず傍につれてきゃ反応でわかるかと離席させようとさせたら強硬にイルカは机にしがみついて拒否した。
「でもさー。なんかだしにして近づかないと、絶対そーゆーのって伝わらないよ?」
 見てればわかるとか目は口ほどにものを言うとかいうけれど、見られている側はたくさんのものに見られているから逆に慣れてしまっていて、見ているほうが願うほど視線を気にしないものなのだ。
「……それは、そうなんですけど……」
 カカシの指摘にイルカはしょんぼりしてしまう。
「言ってやって、言ってやってよ、カカシさん。こいつ引っ込み思案にも程があってね。俺らがいくらいけっつっても全然動こうともしないの」
「……だって、迷惑かもしれない、し……」
「迷惑かどうかは動いてみないとわかんねえっツーの」
「……うん」
 わかってる、と呟いて中忍仲間のつっこみにイルカは撃沈する。
 その突っ伏した後頭でひっつめ髪が萎れるのが妙にかわいそうに見えてカカシは助け舟を出した。
「んじゃあさあ、なにげに近づいても大丈夫なイベントとかやってみればいいんじゃない?」
「イベントって?」
「そおねえ、飲み会とか?いまだと……」
 なにがあるだろう、と考え込むカカシの横から中忍たちが食いついた。
「スキーとか?スノボとか?」
「あ!それいいね!遊びでかつ男女が自然に混ざれてなんとなく一体感もあって普段親しくなくても近づきやすい!……おい、イルカ、スノボやろうぜスノボ!」 
「えースノボ?」
「オレスケートがいいなー」
「温泉でよくね?」
「温泉つきのスキー場にしたらよくね?」
 気がつけば、火の粉は別の席まで飛び火して、木の葉の里の上中下の混合集団で温泉つきのスキー&スノボツアーに行くことに確定していた。
 自分が発端とはいえ、あまりの展開のはやさにみんな暇持て余してんなあとカカシは飽きれた。
「スノボ、ねえ……オレやったことないんだよね」
「あ、オレもないです」
 それでも、小さなカカシの呟きに反応したイルカがどうなるか、かなり興味があったのでカカシは内心のいろいろはさておいて微笑んだ。
「じゃ、頑張ってみよっか」



 混合集団でスキー&スノボツアーはなんでか強化合宿みたいなのりだった。
 現地集合現地解散。
 ツアーの勝負は行き帰りの雑談にあると幹事は何故わかってない?とカカシは突っ込みたくてたまらなかった。おうちに帰るまでが遠足です!がモットーだろう、と。
 だが、何故か幹事のお鉢がぐるっと回ってきた紅が、任務も休暇もバラバラな集団の日程調整でキーと頭に血を上らせていたことを知っているからそれについては言わなかった。
「なんでアタシに回ってくるの……」
 それはタコワサをつまみにポンシュをきゅっとひっかけていい気分になっていた紅が、ツアーは決定したはいいものの日程調整で苦労することが目に見えている幹事を誰もが嫌がって誰か幹事をやる人ーと押し付けあっていたその時に、「うっさいわねえ幹事くらい誰だっていいじゃない。やる人いないならアタシがやるわよ!」と男らしくも引き受けてしまったからなのだが、それについてもいわなかった。
 誰一人引き受けるものがいなければツアーは流れてしまうか、カカシが幹事を引き受ける羽目になったかもしれないからだ。
 紅を人身御供にしたその代わりにカカシはよく紅に付き合った。
 主に愚痴の相手として。
 そしてそこに先日の一件以来なんとなく顔をあわせれば挨拶をするようになったイルカがよく加わった。紅はカカシの知り合いということでイルカに気を許し、『イルカさん』呼びが一足飛びに『イルカちゃん』になるのに時間はかからなかった。



 パウダースノーのゲレンデで汗を流したその後は温泉につかって、やっぱり一杯ひっかけたいのが大人だ。それぞれが仕事の合間を縫っていたり参加するために無理をして暇を作り出していたりするものだから、これだけが息抜きとばかりに、窓の外の雪景色を眺めながら暖房と温泉で温まった体によく冷えたビールを注ぎ込んだ。
 タンとハツとキモ。
 串であぶられたそれに塩を振って食うカカシの隣には紅、その反対にはイルカが座っていた。イルカもカカシも初心者なのでとりあえず滑った、という感じだったが経験者の紅はそんな二人に、カービングがどうのフロントターンとバックサイドターンの切れがどうの、バインディングはやっぱりしっかりしたのがいいわーとか今日はソールの調子がよくなかったとかそういう話を聞かせてくれた。
 スタイル抜群の紅は、ゲレンデでひときわ目立つ存在だった。
 真っ黒な髪をなびかせて、赤いウェアに身を包み、白原を疾走するその姿は人目を奪った。
 メンバーはみな忍であるのでスキー場でこけるものはなくそつなくこなすものがほとんどだったが、行為に楽しみを見出すかどうかは個々によって違った。カカシは滑ったけど、楽しいかといわれるとあんまり、といった感じで、次回があるなら温泉だけの参加かなあといった感じだ。
 イルカはどうかはしらないが、紅の話をニコニコ聞いている。
 そういえば、カカシが滑り終えて、ほっと一息ついたときもイルカはやっぱりニコニコしていた。
 ぐびりとビールで咽喉を潤しながら、この人いつもこんな感じだよなあ、とカカシはイルカを見ながら思う。控えめででしゃばらず、人のよい純朴を絵に描いたような感じ。大概の人間が好感を抱く人畜無害さ。誰かの特別になることのない、いい人どまりの、『いい人』。思いが通じないのはそれが原因に違いない。
 暖房のせいかほのかに頬を上気させたイルカの背中をつつくものがいた。
 見ればそれはカカシも顔見知りの中忍で、中忍は訳知り顔をしながら意味ありげに囁いた。
「頑張れ、応援してるから!」
 その言葉にイルカははっとし、赤い顔を更に赤くして『うわ、馬鹿!』とでもいいたげにわたわたと相手の口をふさごうとした。だがイルカに口を封じられる前に中忍は身をかわしウィンクひとつ残して自分の席に戻っていった。



 小声で囁かれた言葉にはっとしたのはイルカだけではなかった。
 カカシもまたはっとした。
 頑張っているのは紅のためか?
 イルカが好きな相手は紅?
 紅とカカシは男女の仲ではないので別段それは気にするようなことではないし、暇つぶしとはいえ乗りかかったイルカの恋を応援するのはやぶさかではない筈なのだが、ちょっと意地悪な気持ちになった。
 雪質がどうの。アンジュレーションがいいところはどうで、悪いところはこうだとか、どうもかつてシーズンに通いつめたことのあるらしい紅の講釈に相槌を打っているイルカに横目で視線を滑らせた。
「あんたさ、童貞?」
「ち……ちちちちちがいますよ!なんですかいきなり!」
 カカシの放った爆弾にイルカは面白い程ひっかかった。
「なにちがうの?だったら、テク無しの予感。童貞ならそのテク無しがかえってよろこばれたりする気がするんだけど、半端が一番いやだよねー」
「あ、それはそうかも!必死って感じがかわいかったりするし、AVのまんまガンガンやろうとする男が一番最悪ー」
 慎みもなくというべきか、それとも女だからこそというべきか、振った話題に紅も食いついた。
「童貞のほうがいいんですか?」
 妙なリアリティの滲む台詞に、イルカは初耳だといわんばかりに身を乗り出した。
「童貞って普通嫌がられませんか?気持ち悪いとかって」
「そんなことないよねー前の女がいないってことは嫉妬しなくていいってことだし。自分も比べられることないし」
「下手でも一生懸命だったりしてかわいいって感じがするよねー」
 カカシと紅のサラウンドに、そ、そうなんだ……とカルチャーショックを隠せないイルカは童貞確定だ。あまりにもわかりやすいその態度にカカシは笑いを隠せない。
 だが、にやにや笑いのカカシの天下はそう長くは続かなかった。
「確かにねー、てゆーかカカシはなんでそんなことしってるのーもしかして童貞喰っちゃったとか?」
 思ってもみない方向からの紅の突っ込みに、ついカカシも素に戻る。
「なーんでオレが童貞喰うのよ、喰うならショジョでしょ?一般論」
「あやしーカカシ男もいけるくちっぽいし」
「なーんでかわいい女の子放って好き好んで男喰わないといけないのよ」
「うっそ、白状しなさいよーここだけの話にしとくから」
「なによ、そんな絡んで喰われたいの?ここだけの話ってそういう方向ならのってもいいよ、オレのテク味わってみる?」
「えーやだーそんなつもりじゃないしー」
「じゃあどんなつもりだってゆうの」
「つうかキモイー!やだー襲われるーたすけてー!」
 酒の勢いもあってか紅もノリノリで普段なら絶対出さない甲高い声を出した。並びの二人がじゃれあうとイルカだけがぽつねんとしてしまう。それを気の毒に思ったのか、紅は唐突にイルカの肩を掴んでカカシにむかって盾にした。
「ちゅうならイルカちゃんとしたらいいよ!ほらイルカちゃん!カカシが実地で教えてくれるって!」
「えええー、いや!それは!」
 イルカは目に見えて慌てた。
「えええーってなによそれ、オレとのキスがそんなに嫌なわけ?傷つくなあ」
 そのあわてぶりがかすかにカカシの背中の産毛を逆立たせた。イルカは見たまんまの善良な人間なのだが、どうも時々カカシを苛立たせる瞬間がある。―――意地悪をしてやりたくなる。
「か、カカシさん酔ってるでしょう!そんなキスなんか!」
「酔う?だーれにいってんの?オレは上忍よー?」
 上忍だから酔わないという理屈はないのだが、妙な説得力がある台詞に中忍は必死に次の逃げ道を探した。
「オレ男なんですけど!男はおいやなんじゃ!」
「んーまーキスとセックスはちがうしねー別にキスくらいならぜーんぜん平気」
「やっちゃえやっちゃえ!」
 紅の無責任さは酒の席だからというわけではない。
「ちなみに逃げるとこっちから行くよー」
 そういって脅すとイルカは真っ青に蒼褪めた。
 紅相手だと頬を赤く染めるのにカカシ相手だと青くなるのか、失礼な話だ、とカカシは思う。
「ほらほらどうする?」
 好きな相手の目の前で男相手にキスさせるなんて悪趣味な真似、わかっちゃいるけどやめてやる気はさらさらないカカシが促すと、イルカは青い顔で、それでもぐっと覚悟を決めて自分のほうから顔を近づけてきた。
「し、失礼します」
 そんな場合でもないのに、変なところまで礼儀正しいのがはずしていて妙におかしい。
 カカシの口にやわらかいものがむーっと押し付けられ、キャーッと黄色い声があがった。だが、それ以上のことはない。固い表情でコチコチに緊張したイルカはくっつけるのが精一杯だった。
 コンクリで固められてしまったのかのように動かないイルカの鼻息だけがふーっふーっとカカシの頬をくすぐった。そんなところがまた物慣れない。くすぐったいのとおかしいのとでカカシはくすくす笑ってイルカの後ろ髪をくしゃくしゃと乱した。
 そしてそのまま髪の間に指を差し入れて、ぐっと自分のほうに引き寄せ、かすかに開いたイルカの歯列の間に舌を捻じ込んだ。
「それキスー?キスッつったらこうでしょー?」
 うちゅちゅちゅーねろねろぬっぽん。
 ちょっとやりすぎってなくらい濃厚な奴を息が続く限りかましてみたらイルカははじめは驚いてカカシを遠ざけようとその胸を腕で突っ張った。だがそれでも離さなかったら徐々に抵抗はうせて、最後には酸欠もあってぐったりとカカシの胸に抱えられることになった。
「ど?」
 唾液で濡れるくちびるを舌で舐めとってカカシが尋ねると、「ま、参りました……」とイルカは息も絶え絶えに呟いた。

 カカシとイルカのちゅーを切欠にその後の飲み会は大荒れだった。
 昼間それなりにスポーツをして更にアルコールが入って気持ちよく酔いの回った連中は上中下を問わずにお調子付いて、そこここでキス大会がはじまってしまった。
 『最強のテクニシャン選抜、木の葉の業師カカシを倒せ!大会』の勃発だ。発端だけにカカシは幾人もの人間に一手ご指南願いますと挑まれたが、「だあれが男なんか!」と蹴り散らした。なかにはこの場のノリに見せつつ以前から狙っていた気配濃厚なものもあり、そういった輩は「イルカとはしたじゃないか」とくいさがった。だが、食い下がるような奴は余計に願い下げというわけで、カカシは中でも特別不細工で特別巨大で特別くっさい使役犬を召還し、望みどおり濃厚なベロチューを指南して差し上げるようにいいつけた。
 カカシの使役犬はたかが犬とは言えど忍犬で、中忍上忍に比肩する。歯の黄色い犬に乗っかられ唾液まみれにされた男はひぃーと情けない声を立てた。
 阿鼻叫喚の騒ぎの中、ひっそりと会場を抜け出す影があった。
 他の誰も気付いてはいなかったが、カカシだけは気付いていた。
 何故ならそれはイルカだったからだ。
 背を丸め、俯くその背中が気になって堪らずカカシはこっそりその後をつけた。



 イルカはひとりで外へでた。
 真っ白に積もった雪の上にイルカの足跡だけがぽつんと残る。
 暖房の効いた飲み会の場から出たものだからイルカの格好は軽装だ。この寒いのにどこまでいくのだろうと思っているとその足はホテル近くの電話ボックスでとまった。
 薄い緑に透けるボックスの中に自分を閉じ込めて、イルカはその場に崩れ落ちた。膝をついて背を震わせるその仕草はどうみても泣いている。他に一人になれる場所が考え付かなかったのだと思うと哀れだった。
 声を押し殺して泣いているイルカをそっとしておいてやりたい気もしたけれど、泣いているのは自分のせいだと思うと立ち去れず、カカシはそんな自分が嫌になりながらも電話ボックスの扉をノックした。
 鼻の頭を真っ赤に染めたイルカが飛び起きて、その濡れた瞳を瞬いた。
 ボックスの中はイルカの白い息に濡れている。
「え!あ!わあ!」
 飛び起きるなりイルカは扉をカカシにむかって開け放ち、ボックスをカカシに譲ろうとした。
「ご、ごめんなさい!」
 その間の抜けたところがかわいい。
 隙間から狭いボックス内に身を滑り込ませ、カカシは扉をぴっちりと閉めた。
 ボックスの中にはイルカの零した涙の熱がこもっていてあたたかい。
「別に電話かけるつもりはないよ。用事があるのはあんた」
「え、オレですか?」
 ごしごしと袖で顔を擦る。
「なにないてんの、あんた」
「え?なんで、って……?」
「なんで?惚れた相手の前で男にキスされたから?確かにあれはわるかった。やりすぎたと思う。ごめーんね」
 ついムラムラしてやってしまった。今は反省している。
 悪いという意識はカカシにだってちゃんとあるのだ。
「ち、違うんです」
「なにがちがうの?紅なんじゃないの?あんたの相手。みんなそういってるよ」
「違うんです、違うんです!」
「何が違うの?惚れた紅の前でキスされたのが悔しかったんでしょう?だから……ごめんね」
 だが、何が違うというのか、カカシが謝罪しているのにイルカはしきりと否定した。
「違います!だからそれがそもそもの間違いで。確かにオレの片思いしてる人は上忍ですけど……紅さんだなんていってないし……、それに泣いてたのはそのせいだけど、そうじゃなくて……」
 思い返してみる。確かにいってない。あの人という一人称のみだ。巻き込まれている中忍上忍集団の中で高嶺の花とみられそうなのはそれくらいだったから(何しろ紅は若くして上忍になったエリート。その力量は折り紙つき、あっという間に追い越された万年中忍にはまぶしかろうというものだ)てっきりそうだとばかり思い込んでいたが、実は違ったというのか?
 語尾をにごらせながら、イルカは激しく瞬きを繰り返した。
 そうすると睫毛の先についた水滴がパシパシと散った。
「じゃあ誰なのよ」
 中忍は躊躇ったあげくに、震える指をあさっての方向へむけ。
「あの、オレ…の、……あの、オレのすきな、ひとは……」
 指は散々さまよった挙句、最終的にカカシの胸でとまった。
「オレ?」



「ほんとうに?」
 その意外さに、あっけにとられてカカシがいうと、イルカはまるで叱責されるのを耐えるようにびくびくと震えた。
「何でオレ?てゆーかオレ自分あてののろけとか聞かされて恋愛相談受けてたわけ?本人に恋愛相談?べたすぎ!なによ、それ!」
「その……別にのろけとかは……」
 してない。と、みなまではいわせず、狭いボックスでイルカに逃げ場がないのをいいことにカカシはガンガンに攻め立てた。
「いやそれどーでもいいから、ちょっとあんたなんだっけ、シルエットに惚れたんだっけ?え?それってオレのシルエットってこと?どういうこと?それってほんとうにマニアックすぎない?」 
「あの、シルエットもそうなんですけど、手が…指が、きれいで……」
 イルカは泣きそうになりながら、申し開きをする。
「はあ?あんたどこに目をつけてんの、オレの指傷だらけよ。爪変形し放題、傷残りまくり。それにこれ、手甲つけてるから変な色にやけてるし、これのどこが?」
 きれいな手といったら白魚のようなやわらかいおんなの手をいうのだろうと中忍の目の前に手甲をとった手をばっと広げてやるとイルカは、そんな時だけキッパリとカカシの手を美しいといった。
「いや、きれいです。忍者としての本分を果たしている。職務に忠実で自分を磨くことを怠ってない、まっとうな、きれいな手です。自分は前線に出ることが少なく事務仕事ばかりだったので情けない話ですがペンだこはあってももうくないの握りだこは消えてしまいました。……恥ずかしい話ですが」
 その褒め言葉は、いままでカカシが貰った言葉の中でかなり嬉しい部類の言葉だった。
 忍の本分において自分の努力というものはあって当然のものとみなされるので、滅多に評価されるものではない。だが、それをちゃんと見て知ってくれている人がいるのだと思うとそれだけで報われるような気持ちになる。
「そしてカカシさんのシルエットは、いつもすぐに動けるようになっている。走り出せる中腰で、隙だらけに見えて隙がない。そういうところがすごいなって思うんです。好きになって、他のところもよく見ていたらもっと好きになって……その……」
 イルカは不思議だ。弱いと見えて弱くない。流されやすく優柔不断で弱腰に見えてそうではない。目に見えるものと目に見えないもの、二つながらを備えているような感じがする。
「あんたの仕事だって大切じゃない」
「はあ……」
「あんた変わってるよね。オレもこんな見かけだから、色白くてきれいだの髪きれいだの顔きれいだの、腰がそそるだの、覆面に隠されてるのがまたたまらんだの、うなじがいいだのいってきたやつはいたけどね。そんなくどき文句は初めてだよ」
「あの、指だけじゃなくてそういう誠実さというか……お話をしていて段々また惹かれていってもうどこがどうっていえないというか全部って言うか……顔も好きですし、すごく綺麗ですよね。でもってスタイルもすごくいいし……ああ、もうすみませんすきです。気持ち悪いですよね、こんな。二度とお目にかかりません」
 自分の性格なんてきつかったり調子に乗りやすかったり、案外と軽はずみで馬鹿だったりしてうんざりすることも多いのにそれがいいというのも不思議だ。
 それとも自分とは違うイルカの目には何かまた別のものが見えているのだろうか。
 自己完結するのが癖らしいイルカがそういってボックスの出口に向かおうとするのを体ごと引き止めてカカシは思いっきり顔を寄せた。
 くちびるが触れるぎりぎりで囁くとイルカの頬が赤らんだ。
「ちょっと待ちなよ。口説くならさあ、もっとしっかり口説いていきな」
「え?」
「オレ男ですよ」
「オレもオトコだけどなにか?」
「気持ち悪くないんですか?男に好きだなんていわれて」
「気持ち……よくはないかもねえ……かたいし?」
「ひゃあ!」
 胸をまさぐられて不意をつかれたイルカは思わずこえをあげた。
「なッ!いきなりなにするんですか!」
「女の子みたいに柔らかくはないから揉んでも楽しくはないけど、反応は楽しいね」
「た、確かに胸はないですがッ!」
 それでも不意の接触に女の子のように胸をガードしてしまったイルカはじりじりとカカシに追い詰められた。
「あんたも揉んでみる?オレの?」
「なにいってんですかわけわかんないですって!」
「ん?胸揉むかってきいてるだけだけど?かたいよねー男の胸って、で、あんたはオレが気持ち悪い?ん?」
「気持ち悪いわけないじゃないですか……だ、だって、好きなんですよ……」
「じゃあ別にいいんじゃない?男と女の差なんて要するに胸の脂肪の差でしょ」
「そ、それは違うんじゃ……」
 もっと他に、いろいろ違うところがもっと下とか、動物の役割的に。
 イルカはそんなことをごにょごにょと言ったが、カカシは明快に言い切った。
「子ども産まない、うめない女なんていくらでもいるじゃない」
「でも男にはついてますし……」
「ああそうね、確かにそれは大きな差かも、じゃあさ、あんたの舐めてもいい?」
「なッ舐め――――――ッ!!」
 ひぃっと本日何度目かのカカシの爆弾にイルカがのけぞる。
「男がいやなのは、それがついてるからだっていうなら手っ取り早くない?多分平気そうな気がするんだよね、オレ」
「カカシ先生そういう趣味が……!」
 カカシの発言にイルカはどんびきだった。
 ボックスの壁に背をぺたりとつけて逃げ腰だ。
 確かに自分の発言には問題があると感じてはいるものの、そういう意味で告白してきたほうにそんな態度をとられてはカカシは立場がない。
「ちょっとちょっとあんたなに引いてんの、そういう趣味も何も、そういう趣味で告ってきたのはあんたでしょうが」
 思わず引き戻すとイルカは逆方向へハイジャンプした。
「は!そうか!そうですね、カカシ先生がそういう趣味なら好都合ですよね!オレにもチャンスが!カカシ先生はどんなタイプがお好みですか!ふんどしですか?角刈りですか!」
 ふんどし。
 角刈り。
 そのボキャブラリーの貧困さはともかく、イルカの思考はなかなか謎だ。
 その読めなさ加減が面白い、とカカシは思う。
「いやオレはどっちも嫌だけどね。そういう趣味はないし。てゆーかあんたふんどしや角刈りが好きなの?うわーちょっと引いた。……あんたがするの?」
 脳裏でふんどしとイルカ。
 角刈りとイルカを合体させてみる。
 ……どうだろう?
 なんともいえない感じがする。
 いくら想像をしたところで実物を見てみないことにはなんともいえないものだが、あまり美しいものではないことはわかっていても、それなりには楽しめそうだとカカシは思う。楽しめるということは積極的には望みはしないが、それはやっぱりありなのだろうか。
 ふんどしのスースーする頼りない感じに内股になって、覚束ない表情を浮かべるイルカはきっと、いじめたおして泣かせたくなるくらいかわいいのではないだろうか、とまで考えてカカシははっと気がついた。
 自分がもう十分駄目になっていることに。
 何が駄目って、顔も頭も性格もちょっとどこかしら抜けているところのあるイルカをかわいいと思ってる段階で駄目だろう。
「やっぱり?そうですよね……出直してきます。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「だからさ、あんた何聞いてるの?オレはそういう趣味はないけど、あんたはちょっとかわいいよって話なわけ」
「ええ?オレのふんどしが見たいんですか?それとも角刈りですか?に……にあうかなあ……?」
 駄目なんだけど。どう考えても駄目なんだけど。そんなことを真剣に悩むイルカはちょっとかわいい、と性懲りもなくカカシは思う。
「お馬鹿。……でもまあ見せてくれるというなら見てもいいよ。で、返事はいらないの?」
 猫を招く仕草で指先で呼ぶとイルカはぱしりと瞬きをした。
 その黒い瞳にカカシがうつる。
 まっすぐにカカシだけが。
「ハイもう一度いってごらん。あんたはオレとどうしたいの?」
「あの、あの、好きです。つ、つきあっていただけるといいなあって……!」
「それで?どんなおつきあい?買い物に行くの?それともスノボ?」
「いえあの、買い物やスノボもいいんですが、あの、その、こ、恋人として、あの、いろいろとお付き合いいただけると嬉しいです……」
「んー……ごーかっく。つきあってもいいよ。あんたかわいいし」
 ぎゅうっと抱きしめると腕の中でイルカは万歳をした。
「ほんとうですか?やったー!」
 喜ぶ姿が他愛ないので突き落としてやりたくなる。
「こんどふんどしはいてくれるんだよね。楽しみ」
「えええええー?カカシさんやっぱりそんな趣味がッ?」
 ――――やっぱりかわいい。
 くすくすとカカシは手に入れた玩具に満足気な笑みを零した。
 そんなつもりはさらさらなかったのだけれど、中忍の困った顔はかわいいし、時々ウザったいだろうけれども、まあかわいいからま、いっか。
 とりあえず恋人の手始めにもう一度ちゅーをしたら、イルカは、さっきのあれはまだまだだったんですね……とすっかり二人の息で真っ白く曇ったボックスに背中を預けて呻いた。まだ誰の手垢もついていないイルカはカカシのすることなすことが全て初めてで、その反応がいちいち面白い。目を細め、この程度で音をあげるにはまだはやい、とカカシは三度くちびるを寄せた。