王の鳥






 ある国にカカシという名の王がいた。
 王は一羽の鳥を飼っていた。寝所で王を慰めるために歌う鳥だ。
 鳥は世にも珍らかな鳥だった。富裕な商人が王からくだされる慈悲との引き替えにと献上しなければ王であっても手に入れることは不可能だった。人目に触れることはほとんどなく、所有するものは更に少ない。だが、目にしたものは少なくとも、虚実入り交じった噂がまことしやかに囁かれる鳥であった。
 曰く、鳥は、空を翼で舞う類のものよりもその姿かたちは人に近い。いや、鳥は翼持つ人の別の種族であるのだとか。ごく当たり前の鳥と人は意志を交わすことは不可能だが、この鳥は人と意を通じることができるとか。人語を喋ることはかなわぬが、その声音は妙なる天上の調べであるとか。そして、その歌はこの世の贅沢この世の至福、余すことなく満ち足りる極上の夢をもたらすのだとか。
 その噂のどこまでが真かは知らぬ。
 ここに鳥の歌を耳にしたものはいないからだ。鳥の所有者であるカカシ王であってさえもその音色を楽しんだことはないという話だ。歌を強いるのに鳥が歌わぬというのではない。
 鳥は王の前に引きたてられたその日に殺されたのだ。
 他ならぬ王の手によって。
 王座の前の緋毛氈はひときわ赤く、濡れた艶を放った。


 鳥は噂のごとく、あきらかに鷲や鴉の類とは異なっていた。その眼差しの毅きこと羽の黒きことこそ似通ってはいたが。贅肉を纏った商人に鎖で繋がれた鳥は黒い羽毛につつまれた人の青年のように見えた。
 「これはイルカと申します。これは大変貴重な鳥でありましてな。それこそさて世界でも両手の数にいるかどうか。人に飼われているものはさらに片手で足りましょうな。彼の偉大な焔王であってもついに手に入れることはかなわなかったとか。巡り合わせというものがありますが、彼の王がいくら望んでも王の在位にはついに捕らえることができなかったのに王が身罷られた直後に息子である王子が手に入れたというのは真皮肉としか思えませんな。その王子も臣に裏切られ亡国の憂き目にあい、今の世に伝えるものもなければどこまでが事実かはわかりかねますが……」
 商人の口は品物を高く売りつけようとするその性情そのままに王の前でも臆しもせずペラペラと囀った。先年も前、南は砂漠北は氷の海東の密林西の荒野と一大帝国を築きあげた古の王。赤子ですら知っている彼の焔王を引き合いに出してその王ですら得ざるものを献上するするのだと値をつり上げて。
 シャラリと商人の掌中の金鎖が鳴った。
 鳥は人の話など知らぬ気に頭を振るう。
 その頸。
 その咽喉。
 その胸。
その脚。
盛りあがる肩に翼の隆起。それは衣を纏うものではなく、膚から羽を生やすものであるとありありとわかるのに、その貌は人にしか思えない。
「これは、鳥……か?」
 王は魅せられたように呟いた。王はまだ若く、愛を知らなかった。
 鳥を一目見た瞬間にわき上がった己の感情に名前を付けることすらできず、傍目にも明らかに頬を紅潮させた。商人はしめたと舌なめずりをした。己の献上品を王が気に入れば取引は一度とならず後々までの旨みをもたらすからだ。
「左様でございます。見目こそ人に見えますが確かにこれは鳥であります。人と同じ扱いはなりませんが……寝所での御用は人も鳥も然程変わるところは……」
 だが、商人の目論見は失敗した。曖昧にぼかした語尾のきわどさは、綻びかけていた王の唇をきつく噛ませるのに十分だった。まだ妃を迎えてもいなかった王は、第一の寝所の主は美姫ではなく、この鳥ですな、という商人が叩いた軽口には耐え難かった。
 己への侮りを許せるほどには未だ王は成熟しておらず、それを許していて務まるほどの権威を身につけてはいなかった。前王に及ばぬと侮る家臣の前での侮辱。許していては王の王たる拠り所を失う。
 剣を手に王座から降り立った王に商人は己の失策を悟り、さっと青ざめた。気圧されて数歩後退さる商人に王は、「そなた、今何をいうた?」と問うた。
「いいえ、いいえ。わたくしめはなにも。ええ、なにも。なにも。なにも……」
 垂れ下がる脂身の頬を揺らし、床に額づいて商人は命乞いをした。
「そうか、そなたは何も言っていない。そう、申すのだな」
「ええ、わたくしめはなにも。何ひとつ申し上げたことはありませぬ……!」
「では、オレが聞いたのは鳥の戯言であろう。そうだな?」
 平伏して詫びる商人の顎に剣の鞘をあて、王は囁いた。
 王の不快が正されることのみを願う商人はその囁きに飛びついた。
「左様でございます! 今までのは鳥の囀り! ひらにひらにご容赦を!」
 王は剣の鞘にこびりついた脂の曇りをその裾で拭った。装飾を施された鈍い金には王の面は歪んで映る。
「……そうか。鳥か。なるほど。なかなか見事な囀りであった。人と意を交わすというが、これほど人語に堪能であるならばそれも容易いだろう。だが、その内容が気に入らぬ。四六時中囀られては、煩くてかなわん。このような鳥などいらぬ」
 歪んだ笑みを口の端に浮かべた王はそういうと、鞘をはらい、鳥を切って捨てた。
「ひ、ひぃあぁあぁぁぁぁ……!」
 魂消えるような悲鳴を上げたのは血飛沫を浴びた商人だった。鳥は王と商人とのやり取りなど知らぬ気に、ただ最後に己を切って捨てる王だけを眼にうつしてその首を床に落とした。
「なんということを! なんということををををを……!」
 商人は半狂乱になって叫んだ。商人とてただで鳥を手に入れたわけではない。鳥を手に入れること自体砂漠で一粒の金砂を拾うのに似た幸運と更に商人自身の苦労の賜物であったから、身をよじり転げまわって気も狂わんばかりに絶叫した。ほとりと零れ落ちた鳥の首をゆっくりと崩れ落ちたその首のない胴体に押し当てて、つかないつかない、と嘆いた。
「煩い鳥を切って捨てたまで。お前が切られたいか?」
 だが王の言葉でぴたりと黙った。
 鳥の血に濡れた剣が鞘に納められることなく、王の手に握られていることに気付いたからだ。
「献上品は受け取った。オレが自分の物をどう扱おうがオレの勝手。……違うか?」
 そうまで言われては商人は引き下がることしかできない。
 項垂れその両腕を兵にとられてしおしおと王宮を後にしたその商人がカカシ王のもとを再び訪れたという話は聞かない。 
 その後、己で切って捨てたのに、王は家臣に命じ鳥を剥製にしその首を元のように繕わせ、商人の揶揄の通りにその剥製を寝所におかせた。
 いくら寝所に据えたとて、命なき鳥が歌うことはない。
 だがここに今ひとつ密やかに語られる噂がある。
 王の寝所から鳥の歌声は聴かれぬがかわりに聞こえるものがあると。


 それは啜り泣きと哀願である。
 かすかな。
 そしてひそやかな。
 熱に浮かされたうわ言のようなその声音は、王のものであるという。
 大きな声で語ることは憚られるので表向き家臣たちは沈黙を守っているが、皆知っている。王は狂っている。

 鳴かない鳥は夜毎王に夢を見せる。
 夢の中で王は鳥に愛を恋う。
 まるで貴人の前に身を投げ出し物乞いをする女のように。乾いた唇を湿らせたがる旅人のように。
触れることも。見詰め合うことも。語らうことも。何一つできぬ相手に歌わぬ鳥のあえぎのごとく、切れ切れの啜り泣きで王は鳥に許しを請い、愛を恋う。
 家臣たちがみな知らぬ振りをしたところで、夢に黄泉返る鳥を相手に王は恋に狂っている。
 自ら葬り去った恋を毎日毎晩繰り返し。
 だが王を見つめるのは剥製の目玉。王の愛にも懺悔にも応える咽喉をもちはせぬ。
 眠る主の傍らで鳥はガラス玉の瞳に影うつすばかり。